・当山はその創建年代は不明ですが、もとは真言密宗に属し永楽寺と称していました。
・大永7年(1527)京都総本山本隆寺開祖、常不軽院日真大和尚が有馬へ湯治の途中巡錫して、久代村に於いて辻説法をなされました。 
・その説法の聴聞に一人集まリニ人集まり、法華経の功徳甚深なるに感激した村民は日真大和尚に帰依し、当時の永楽寺住僧法印も檀越と共に帰依改宗し、久成寺(くじょうじ)と改められました。
・依って法印に宝樹院日豊の名を与えられ、日豊上人は日真大和尚を久成寺開山と仰ぎ、自ら中興となられ、現在に至ります。
・当山はこの事跡により聖跡地として本山より由諸寺院(重要な遺跡又は顕著な沿革のある寺)として永代その寺格は保有されています。
・開山日真大和尚の徳風を受け継ぎ、新しい時代の寺院として布教活動が続けられています。

享保9年(1724)に新築された鐘楼堂もその梵鐘の音響悪く、享保17年(1732)に改鋳されました。
その際、当時の通貨を鋳入したそうです。
その内一個(二分金)が、その外面に出現しました(現在所有)。
その後、その梵鐘は太平洋戦争に供出し、昭和43年(1968)に再鋳造されました。
 
[ 久成寺建築物 ]
・本   堂  天 和  03年(1683) ・番 神 堂  寅 永  04年(1744)
・鐘 楼 堂  享 和  09年(1724) ・庫     裡   昭 和 48年 (1973)
・山     門   昭 和 48年 (1973) ・茶     室   昭 和 42年 (1967)