村雲御所とは瑞龍寺(滋賀県近江八幡市)の別名である。その成り立ちは古く、安土桃山時代に豊臣秀吉の姉であり、豊臣秀次の生母である日秀尼が、秀吉に自害させられた秀次公の菩提を弔うため開いた寺院である。
後陽成天皇より嵯峨(京都市)の村雲(現在の二尊院近く)の寺地と『瑞龍寺』を賜ったことから、『瑞龍寺』は、門跡寺院(皇子・貴族などが住む寺院)となる。
瑞龍寺は別名を村雲御所と称し、代々皇女や公家の娘を住職として迎えた。
江戸時代、嵯峨から西陣(堀川今出川付近)に移転するも、天明8年(1788年)天明の大火で全焼し、9世日尊尼は文政7年(1824年)から28年の歳月をかけて再建。
昭和36年(1961年)西陣から、八幡山(近江八幡市)山頂にある八幡城本丸跡地に移転し、現在まで続いている。

[ 久成寺との関わり ]
 
久成寺の本山である『法華宗真門流総本山 本隆寺』が西陣にある。
本隆寺は唯一、天明の大火で焼失をまぬかれた寺院である。
 
同じ西陣にある寺院同士、何らかの関わりがあったのではと推測されているが、そこから法
華宗真門流で唯一久成寺のみ、村雲御所祈願所として下記紋等が許可された経緯等は判明していない。
 
皇室祈願所として菊紋・藤紋・同文紫幕が久成寺に許可され、村雲御所より以下を賜る。
 

・日蓮聖人本尊(現存) ・緋紋白袈裟 ・九条家紋袈裟
・菊御紋幕・提灯 ・各寄進状(現存) ・日秀・日照両氏の名が刻まれた位牌(現存) 
・石碑(天明3年/1783年)(現存) ・籠(現存)